絵を描くと一口に言いますが、作画には大きく分けて二つの技術が必要です。
形を取る技術
着彩の技術
一般的にはこの2つを合わせて画力があると表されますが、2つは全く別の技術で、どちらかが長けていれば片方も上手くできるというものではありません。
少し私の話をします。
私は3歳から絵を描き始め、いろんな絵画教室にも通いました。でも、なんらかの「賞」を一度も獲得したことはありませんでした。
「鉛筆の時はいいのに、塗ると下手なのよね」これが母の口癖。
中学の美術の先生は「デッサンは実にいい」と目をかけてくださいましたが、私が上手く着彩できるのは想像画に限られ、写生の着色は本当に下手でした。それでもデザイン科へ進学できたのは、実技試験が鉛筆デッサンだったからでしょう。着彩デッサンだったら今の私は無かったと思います。
そんな私の着彩の技量を引き上げたのは、美大受験のために通った画塾でした。
日本画を専攻すると決めた私は、そこで初めて“透明水彩絵の具”を使いました。初めて、望む色使いとイメージを表現できる画材を得た喜びを、60歳手前のいまでも覚えています。私が感じる世界は、不透明水彩や油画ではなかったのです。
美大受験において、デッサン力と着彩力のどちらが欠けても、画力があるとは認められません。でも、そのバランスが取れていなくても片方を補えるほどの“何か”があると感じられる場合もあります。受験においても、技術が同列だった場合にどちらをとるかと言えば、絵に表された感性や訴求力なのでしょう。
画塾時代に、とても素晴らしいデッサンを描く先輩は多くいました。
間違いなく有名美大に合格できるレベルでしたが、2年、3年と浪人する先輩もざらで、浪人するほど合格できにくくなるということが起きます。
いまでこそ分かるのですが
試される
認められる
褒められる
といったことに注力し過ぎると
自分を表現することが
おざなりになってしまうのです。
「上手だね」
で終わってしまっては本末転倒。
それが
美術や芸術の世界です。
感じる力があってこそ
子供教室を開催していた時、秀でた色彩感覚の子供に出会いました。
7,8歳だったと思いますが、その子が感じる色彩の幅は大人以上で、とても気持ちの良い色彩感覚を持っていました。
一般的に7歳前後の子供に2色混合を教えた場合、混ぜて色が変わることに興味は持ってもなかなか絵に反映させづらく、単色に白を混ぜてパステルカラーを作るくらいが普通です。
でもその子は3色混合を難なく理解して、訴求力のある静物画を描き上げました。
中学進学の前に引っ越してしまったのでその後は分かりませんが、表現力がデッサンを上回って高評価を得るのは子供に限りません。
近年、SNSの発達によって様々なアーティストの作品を見かけるようになり、デッサンやスケッチの代わりに、トレースで下描きをする方法が増えました。
美大の絵画科で、写真をトレースするのはご法度です。プロを目指す上では、その理由も分からなくありません。
でも、要はその絵に“上手い以上の何か”があるか?ではないかと、私は思います。
私が学んだ日本画においても、写真トレースを基に、素晴らしい日本画を描かれる有名画家がいらっしゃいますが、「写真みたい」だから良いのではなく、写真を超えている「絵」だからだと思います。
上手い以上の何かは、表現力
伝えたいことを余すところなく表す、または訴える力。
これが“上手い以上の何か”です。
“下手上手い(へたうまい)”
という言葉があり
「決して上手くはないけど味がある」
ことを指します。
言い換えれば、
上手=良い絵
ではないということです。
画力とは表現力
そうして考えたとき、私は「自分が求める表現に必要な力量」を持っていることが第一義と思います。
絵の基本はデッサン力であっても、前述のとおりそれさえあれば良い絵が描けるワケではありません。事実、美大の絵画出身者は概ね同等でハイレベルなデッサン力を持っていますが、それを取り上げて「画力がある」とは評しません。
画力とは、
自分の探求心や訴求力に必要な力量。
と考えた場合、逆に言えば
それを支えられるだけ
あればいいものでもある。
と言えるのではないでしょうか。
なにが画力を引き上げるか?
表現のための探求心。
それに尽きると私は考えます。
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